西本願寺書院

法話


【 88歳の誕生日は、お浄土の誕生日 】 

 私ごとで恐縮ですが、父親の誕生は、昭和978日。今年の誕生日、数えで88歳を迎えました。そして、その日の夜、お浄土へと生まれさせていただきました。誕生日のその日にお浄土へ誕生。何か不思議なご縁を感じました。15年来、脳卒中で病床に臥し、ここ数年は老人ホーム。病院等でお世話になっておりましたが、昨年の新型コロナの感染拡大以降は、面会もかなわない状況でした。母親が前日、誕生ケーキを病棟に預け、誕生日には看護師の方に祝っていただいたそうです。

よろしいですか、念仏の一道ですよ

 広島の山寺ではありますが、門信徒の皆様のお支えをいただきながら、50年余りにわたって住職としてお寺を護持してきました。晩年、病に臥していたとはいえ、お念仏を申す人生を歩ませていただき、幸せな人生でした。平成9228日のノートには、次のようにあります。「字引の言葉は沢山ありますが、今は只一つ、生涯において、ようこそ、ようこそ、有難うございました。(中略)ご門徒の皆様、よろしいですか、人生の目的、『より処』は、只、只、念仏の一道ですよ。これが住職最後のお願いです。力を合わせて体を大切に生きて下さい。合掌」(午前10時、三次リハビリセンターにて)

かならず、かならずの心

 
親鸞聖人が『御消息』にて、「かならずかならず一つところへまゐりあふべく候ふ」(注釈版770項)、「浄土にてかならずかならずまちまゐらせ候ふべし」(785項)と仰せになられたお心が、父親の往生を通していよいよ確かなものとして心に響いてきます。この世のことは何事も「かならず」ということはありません。その中で、親鸞聖人が「かならずかならず」と二回重ねてお示しになっておられるのは、よほど確かなことでございましょう。なぜ確かかといえば、仏さまの願いが成就されているからであり、またそのことなくして苦海に沈む私の救いが開けないからであります。

誕生が喜べる世界をたまわる

 冒頭で、誕生日に浄土に誕生する不思議なご縁を感じましたと書きましたが、普通であればただ寂しい、悲しいだけの親の死が、「誕生」という言葉で喜べる、そういう機縁を賜ったということだろうと思います。生きていれば、遠く離れていても、「生きている」という感覚に支えられて、月日が過ぎていきます。ついつい生きているのが当たり前になってしまうこともあります。この度、父の往生により、この世に「生きている」感を失うことになりましたが、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏のお念仏を称えさせていただく中に、仏さまの呼び声と一つになって働く親の呼び声を、これまで以上に強く確かなものとして感じさせていただく今日このごろです。

 


武蔵野大学学長・金秀寺住職 / 西本 照真 師 / 築地新報10月号・法話より転載 )

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