西本願寺書院

法話


【 阿弥陀さまの微笑み 】


≪ 阿弥陀さまのお顔が表現するもの ≫

 築地本願寺や各地域のお寺さまの本堂の正面にお立ちくださっている阿弥陀さま。そのお顔を拝見いたしますと、目を半分閉じているお顔の表情で表現されています。皆さまお気づきになられるでしょうか。これは「半眼」、半分閉じた目という字を書きます。半眼というお顔の表情です。

 
以前、娘と本堂でお参りしているときに「阿弥陀さまって何で半分目を閉じているの。阿弥陀さま、眠たいのかな?」と質問されたことがあります。決して阿弥陀さまは眠たくて半分目を閉じているわけではありません。この半眼のお顔が、何を表現しているかと申しますと、すべての生きとし生けるのもを慈しむまなざし、阿弥陀さまのお慈悲のお心を表現していると味わうことができます。

≪ お母さんの表情 ≫

 
私には4歳と1歳になる娘がいるのですが、その上の子が生まれたときの私の連れ合いの表情を、この話をすると思い出します。初めての子ども、苦労して出産した、らしいです。連れ合いは実家に帰っての里帰り出産でございました。私は出産には立ち会いませんでしたので、どうやら苦労して出産した、らしいとしか言えないのですが・・・・・・。今でも出産のときの話になると、「あのときは大変だったんだから!お父さんは何にも手伝ってくれなかったんだから」と愚痴られます。・・・・・・大変らしいです。夜中の2時過ぎくらいでしたか、連れ合いから「赤ちゃん、無事に生まれたよ」と電話があり、一枚の写真をメールで送ってくれました。私は初めての自分の子どもの写真を見ながら、嬉しい思いもありましたが、なんだか実感もあまりなく眺めていたのを覚えています。しかし、その写真に写っていた連れ合いの表情は、目を細めて目じり一杯にしわを寄せながら、優しく赤ちゃんを抱っこしながら、じっと見つめている。まさに母親、お母さんの表情でした。

≪ 慈しみの心をもって生きる ≫

 
正面にお立ちくださっている阿弥陀さまの半眼という表情は、この生まれたばかりの赤ちゃんを優しく見つめる母親のような表情を表しています。阿弥陀さまは私たち一人一人を我が子のように思い、常に慈しみのまなざしで見ていてくださっています。そのお顔の表情がこちらの半眼というお顔でございます(決して眠たいわけではないんです!)。

 
相手を慈しむまなざし、私たち人間にできるかと言ったらどうでしょうか。私の連れ合いが我が子を出産したときのように、できるときもあるでしょうが、そこには人間の限界、誰に対してでも常にできることではありません。でも阿弥陀さまは違います。いつでも、ごこでも、どんなときでも決して変わることなく、すべての生きとし生けるものに対して、常に慈しみのまなざしを向け続けてくださっています。だからすごい、だから尊い、だから憧れ、真似したくなる、だから感謝の思いで毎日礼拝させていただくのだと味わうことでございます。相手を慈しむまなざし、本日もまたお互いさまを大切にさせていただく一日を過ごさせていただきましょう。合掌

出典 「 慈眼をもつて衆生を視そなはすこと、平等にして一子のごとし。ゆゑにわれ、極大慈悲母を帰命し礼たてまつる。」(『往生要集』注釈版七祖篇P899

 


築地本願寺職員 / 青木 永生 師 / 築地新報6月号・法話より転載 )

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