西本願寺書院

法話


【 無常のことわり 】


 
細胞レベルで見れば3か月で人は別人になる

  先月、数年ぶりに学生時代の友人にばったり出会いました。その友人は、私の姿を見て開口一番「久しぶり、変わらないね」と言いました。私は「そんなことないよ」と返事をしましたが、悪い気はしないものです。内容にもよりますが、久しぶりに会った方に「変わったね」と言われるよりは「変わってないね」と言われる方が、嬉しくなるのではないでしょうか。変わってないというのは、前に会った時から現在にいたるまで、体形や若さを維持しているという誉め言葉のようなものだと思います。また、口では「いつまでも変わらずお若いですね」などとお世辞を言っても、心の中では「この人もずいぶん年を取ったな」と思うことはないでしょうか?

  人間の体は、およそ37兆とも60兆ともいう細胞から成り立っています。その細胞は、常に新しいものに入れ替わっていき、これを新陳代謝といいます。血液や内臓、骨や筋肉など、それぞれの細胞のほぼすべてが新しい細胞に入れ替わるのにおよそ3か月かかるそうです。ということは、見た目は大して変わっていないと思える私の姿は、実は3か月前とはまったく新しい別の私ということになります。

 
変化し続ける日々を確かに生きる真実の教え

  私たちは「無常」のなかに身を置いて生活をしています。「無常」とは、仏教の中核をなす教えで、「諸行無常」ともいわれます。諸行とはすべての物事、無常とは常では無いということですので、「この世におけるすべてのものは、常に移り変わっていくものである」という意味です。そしてすべてのもののなかには、当然私たちも含まれています。しかし日々の忙しさに追われ、無常のなかに身を置いていることをつい忘れてしまっているのではないでしょうか。

  七高僧のおひとりである善導大師は、『往生礼讃』の「無常偈」において、人間悤々として衆務を営み、年命の日夜に去ることを覚えず。とお示しになりました。日々慌ただしく過ごしているうちに、自分自身のいのちの灯が消えていくことを忘れてしまっているのは虚しいことです。またコロナ禍になり1年余りが経過し、今まで当たり前のように過ごしていた生活が大きく変わったことで、改めて「無常」を感じます。一日の感染数に一喜一憂し、時には不安をあおるような報道を目にすることもあります。常に変化し続けているにもかかわらず、それを認めずに自分の見方や判断に固辞し囚われがちな私たちに、お念仏のみ教えは、無常という真実のことわりをお示しになり、南無阿弥陀仏と呼びかけてくださっています。変わり続けるひと時ひと時を大切にする、お念仏申す生活を共々に歩ませていただきましょう。

 


                                               称名


築地本願寺職員 / 安邉泰教 師 / 築地新報4月号・法話より転載 )

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